何のチャレンジでしょう?
エイプリルフールというワールドワイドな催し物は、情報化社会とは相容れずこのまま廃れていくのでしょうか。エイプリルフールの醍醐味は情報操作だったはずなのに、時代はコンプライアンスの遵守を求めています。「今年は世間を惑わせるような冗談をSNSに流すのは自粛しましょう」なんて政治家達から忠告されている時点でほぼアウトです。小学校の学級会の議題ならまだしも、良い大人が良い大人に対して喚起するような注意ではありません。それに、民間で大盛り上がりしているイベントへの公人の干渉ほど白けることはありません。現在の非常事態が収束したとしても、今後もエイプリルフールを取り締まられる状況は多かれ少なかれ起こり得ます。どこまでを許容しどこからを処罰対象とするのかを明文によって取り締まられるくらいならば、その前にこのまま自然にフェイドアウトしてくれる方が、古き良き時代の平和な思い出として僕達の心に残り続けてくれることでしょう。エイプリルフールは。
僕の周囲の同僚や友人にも陽性確認された人がちらほら現れています。その内の1人はフリーランスの合唱歌手の同僚で、僕は本来3週間前にシュトゥットガルトでの音楽祭で彼女と共演する予定でした。リハーサルが始まるたった2日前、彼女は極度の体調不良を理由に降板しました。その翌日、合唱団のマネージャから僕達に音楽祭の中止が言い渡されました。まさかあの時、彼女が話題のウイルスの餌食となり、6日間も39度を超える高熱にうなされて入院していただなんて夢にも思いますまい。もし彼女の発症が数日遅くてプロジェクトを降板していなかったら、音楽祭のディレクターが優柔不断でリハーサルが始まってしまっていたら、僕も彼女と濃厚接触することになっていたはずでした。陸続きとはいえ、地球を3分の1ほども回ったはるか彼方の異国の街で生まれたウイルスが、人間達の必死の抵抗を摺り抜け急速にすぐそばまで迫ってきていることに、僕はある種の感銘を受けています。人間社会は地理的にも心理的にも隔たりがある無数の異なる民族で構成されているのに、少なくとも物理的接触によってそれらが一つに繋がっていることが、今回の事態によって素人に対しても単純明快に立証されているのです。アマゾンの奥地などには、現代文明との接触を持たなかったり、そもそも現代社会の存在すら知ることなく生活している未接触部族が複数あるそうです。現代文明に生きる我々が将来もっと深刻な疫病で死に絶えてしまうとした場合、最後まで生き延びるのはこれら未接触部族です。もっとも、我々自身も未接触部族である可能性も否定できません。人類が存在するのは地球だけに違いないと我々は信じていますが、もし宇宙の遥か彼方に地球の規模を凌駕する人類のコミュニティが存在していて、地球よりも高度な文明を持ち合わせているとしたら、地球に住む我々こそが未接触部族なのです。未接触部族とは、自分達が未接触部族であることをたいてい認識していないものです。
ついに、マスクをしている人々を近所でも見かけるようになりました。日本では白いマスクじゃないとむしろ恥ずかしいという風潮すら感じられますが、こちらではカラフルなものから柄物まで実に多種多様です。家に残っている布切れで自作しているのでしょう。発想の柔軟な若い世代は案外、新鮮かつ衛生的でクールなファッションだと捉えるのかもしれません。そして、新たなファッションとして今後欧州に根付くのかもしれません。近い将来、パリコレのキャットウォークには、色とりどりのマスクを装着したスーパーモデル達が颯爽と登場するのです。そして欧州各地のクラブやバーでは、マスクを付けた若者達がジャパニーズ・ビューティフル・カルチャーを讃え、夜を徹して踊り狂うのです。
ジムが閉鎖してしまったので、毎日ジョギングに精を出しています。これを機に今までに走ったことのないルートを日々開拓中。9年半シュトゥットガルトに住んでいても、全ての道を知っているわけではないのです。というか、いつも同じ道しか歩かないのでしょう。走りながら道を探すと効率が悪いので、前夜に様々なアプリを駆使して綿密にコースをプランニングし、「明日走るのはどんな道かなぁ~!ワクワク!」と、遠足前夜の小学生の心地で床につきます。隔離生活楽し過ぎ疑惑。ちなみに、バーデン・ヴュルテンベルク州では食糧品の買い物の他、スポーツや散歩目的での外出は、他者との充分な距離を確保した上で許可されています。うちの近所はゴーストタウンどころか、天気の良い日はここぞとばかりにみんな外に飛び出して光合成に勤しみます。だって春だもん。公園に集まる市民ランナーの中には、今回を機に走り始めた新入りさんも多くいるのでしょう。
そんなこんなで近場はほぼ走り尽くしたので、今日は走る代わりに遠方までサイクリングしてきました。たった半時間ほど自転車を走らせると、ぶどう農園の拡がる丘のてっぺんに到達するのです。
こんな美しい風景を堪能できる隔離生活だったら、皆さんもう、一生隔離されたくなっちゃいますよね!今後サイクリングを充実させるためのグッズも通販で注文しました。やはり隔離生活楽し過ぎ疑惑。
隔離生活の魅力にどっぷり浸かっている僕ですが、歌手らしい活動も徐々に再開させてもらえています。僕の所属している合唱団の1つ、ChorWerk Ruhr (コーアヴェルク・ルーア) では、メンバーが自宅で合唱曲の各パートを歌っているビデオを撮影し、それを合成してSNSで配信するプロジェクトが急遽立ち上がりました。カウント音の入ったガイドのMP3をヘッドホンで聴きながらスマホで自撮り。これがまぁ舐めてかかったら想像以上に難儀なことよ。合唱やアンサンブルのリハーサルでは、周りで歌っている同僚の声を聞きながら互いに周波数の合う響きを見つけて合わせることが極めて自然に機能します。今回は自宅で1人。キャスティングリストで同じパートを歌うメンバーを確認し、この人の隣りで歌うとしたらこんな響きかなぁぁぁ…と、記憶の響きに自分の音色を寄せていく。失敗したテイクを自分で接ぎ合わせる技術は当然持ち合わせていないので、満足の行くものをワンテイクで録らなければならない。良い感じに歌い進めても、タブレットに表示した楽譜のページをめくるのに失敗して録り直し。譜面台に置いたスマホがバランスを崩し落下して録り直し。ようやく良いテイクが録れたと思って聞き直したら、近所を救急車が通過したのがガッツリ録音されていて録り直し (ヘッドホンをして歌っていると気付かない)。かと思えば次は教会の鐘が鳴って録り直し。その間に、歌詞間違い、音程の間違いなどの凡ミスによる録り直しが幾度となく挟まる。たった2分半の曲を録画するのに費やした時間、実に3時間。やっとの思いで録り終えたデータを録音技師に送信し、任務を完了しました。様々な録音環境でのデータを1つにまとめなければならないので、彼の仕事はとてつもない量になるでしょう。
一方、放送局の合唱団、SWR声楽アンサンブルでは5月末にシュトゥットガルト、6月初旬にパリで、それぞれ異なるプログラムでの本番が予定されています。それらが実際に開催できるかどうかは現時点では不明です。それどころか、それらに向けてのリハが約2週間後に始まる予定ですが、それが可能かどうかも現時点では明言されていないのです。それでも、マネージメントのスタッフが指揮者とミーティングを重ね、通常の本番が無理ならば無観客でライブストリームを、それさえ無理だとしてもプログラムを録音して後日ラジオ放送やCD販売に使えるようにするなど、様々な状況に対してフレキシビリティの極みに達したプランニングを用意してくれました。その知らせを受けた時、一流の音楽家集団としてのプライドと責任感に真摯に向き合うその姿勢に僕は完全に心奪われてしまいました。もう好き。カッコ良すぎるぜ。僕達も全力でフレキシブルに対応できるよう、昨日驚愕の量の楽譜が郵送されてきました。重過ぎて肩外れました。嘘。リハが始まるのが2週間後なのか3週間後なのか、一体いつになるのかは闇の中ですが、その時に求められるクオリティで始められるよう、備えます。歌い手のホームオフィスとはズバリ練習することですね。練習です。
以上、本日の投稿のコンセプトは「現在ちまたで話題沸騰中の頭に『コ』の付く三文字ワードを使わず、しかしそれに関連することを匂わせながらもどれだけ長い記事が書けるかチャレンジ」でした。どこに行ってもこの三文字ワードに溢れ却ったストレスフルなご時世ですから。読者の皆さんが三文字ワードから解放され、安穏のひと時をお過ごしになったことを心より願います。またね。
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