音楽活動 2021年1月〜3月

嗚呼、今年も4分の1が過ぎ去った。まとめて四半期分報告します。


① ルイジ・ノーノ: オペラ「不寛容 1960 」(Intolleranza 1960) の影歌 (録音)

2021年の仕事初めは、ヴッパータール歌劇場が上演するオペラ、ルイジ・ノーノの「不寛容 1960」でした。1960ってのは作曲された年です。この作品には、別スタジオで演奏して客席に設置したスピーカーで中継するよう指定された合唱が何箇所かあるのですが、本プロダクションではそれを録音して本番で再生することとなり、その録音をChorWerk Ruhrが仰せ付かりました。

主人公は坑夫として働く亡命者。断ち切れぬ郷愁から故郷への旅路を辿る途中、大規模な反政府デモに巻き込まれ無実の罪で収監されます。収容所で非情な拷問を目の当たりにし、逃走して再び故郷を目指します。道すがらで1人の女性と出会い、2人で歩む人生に希望を見出しますが、彼の滞在していた村を大洪水が襲います。社会的弱者達が洪水に呑み込まれ、幕が下ります。人が犯す過ちって60年経っても大して変わらないですね。

ChorWerk Ruhrが拠点とするルール地方には、かつて炭鉱が栄えていた頃に産業利用されていた建築物が多く残されており、その一部は文化施設として再活用されているんです。今回、プロジェクトの稽古場で用いられたのもその1つ。



エッセンの炭鉱跡に建つ、かつて岩塩の貯蔵庫だった建物です。歌手24人がソシャディ保って歌っても余裕の広さ。写真右奥に見える巨大な渦巻き型のオブジェの内部は芸術作品の展示室です。

録音はヴッパータールのイマヌエル教会で行われました。



苦行のようなプロジェクトでした。稽古期間は2週間。一方で録音しなければならなかったのは、実はたった1〜3分の比較的短いパッセージやナンバーをかき集めて、合計ほんの15分程度。そんなに多くないのです。合唱指揮のS氏は、極端なまでの完璧性を求め、我々の脳内・体内に音符をプログラミングするかのように、このたった15分の音楽を2週間、何度も何度も何度も繰り返し稽古するのです。音程、リズム、強弱、発音に一切のズレも許されません。

現代音楽はかなり得意なつもりだったのに、一小節歌うごとに止められては「この高いGisが0.01セント低かった」、「この五連符の3つ目の音が誰か1人速過ぎた」、「母音が誰か少し広過ぎた。これは閉口母音だ」と修正され、逆立ちしながら針に糸を通すつもりで精神を統一し、なんとか完璧なヴァージョンを歌えたと思ったら「........音程もリズムも母音も正しかったので、楽譜通りピアニシモで歌ってください。今のデュナーミクはピアニシシモです」。

修行僧のような気分で過ごした2週間の稽古期間でしたが、その後の録音は一転。録音では本プロダクションの副指揮者がタクトを取り、突然現れた本指揮者が音楽的な指示をし、S氏がこれまでに稽古した内容とリンクさせるという、まさに船頭多くして船ナントカという状況。大人の事情てんこ盛り。そんな状況下でもタイムリミット内に納得の行くテイクを複数録ることが出来たのは、S氏による2週間のスパルタ稽古の賜物というほかありません。音楽とテクニックが体に充分染み込んでいれば、そこそこイレギュラーな状況でも無難に対応できます。お陰で大変勉強になるプロジェクトでした。でも向こう暫くはこういう稽古はちょっと......うん。


② ブルージュ、アントワープにてバッハのカンタータ (ストリーム)

Brich dem Hungrigen dein Brot, BWV 39
Schauet doch und sehet, ob irgendein Schmerz sei, BWV 46
Wer nur den lieben Gott läßt warten, BWV 93
Herr Jesu Christ wahr' Mensch und Gott, BWV 127
Warum betrübst du dich, mein Herz, BWV 138
Komm, du süße Todesstunde, BWV 161



昨年も1月にバッハ・アカデミーで歌わせてもらいました。今年は3つのカンタータをブルージュのコンセルトヘボウで、残り3つをアントワープのDeSingelで撮影しました。

1つ目の方のストリームは、そんなこんなしているうちに視聴期限が切れてしまいました。えへ。もう見られないのかなぁ。凄く良いプロダクションだったのですが。ベルギーではパンデミックを機に音楽のストリーム配信を専門とするテレビチャンネルが立ち上がり、僕達の映像もそこで放映されました。

2つ目のアントワープの方の動画はまだ見られます。ホールが独自にYouTubeにアップしてくれているので気軽にご視聴いただけます。



指揮者ヘレヴェッヘ氏の稽古は独特です。言葉が最初にあって、そこに音楽、すなわち音程やアクセントが乗るセオリーで進められます。 

例えば、フーガなど短い歌詞が繰り返されて層を織り成していく作品の場合、ヘレヴェッヘ氏はたった1つのパート (例えばソプラノ) だけをピックアップし、そのパートに最初のたったワンフレーズだけを歌わせます。そのワンフレーズを、納得のいくまで何度も何度もひたすら練り直します。大前提として音程が精巧であること、それから言葉の然るべき位置に正しい強勢が置かれること。書き出してみると単純に見えることですが、氏の鋭い眼光に睨まれながら同パートの3人ないし4人が息を合わせて完璧なワンフレーズを歌い切るのは試練です。

禅問答の末に理想のワンフレーズが完成したら、一気にトゥッティで合わせます。一つの歌詞の繰り返しですから、一つのブロックを完璧に精錬しておけば幾ら積み重ねても安心、逆に一つのブロックに僅かな歪みがあれば100個積み重ねた時には誤差が膨大、という理屈だと思います。ピックアップして歌わされるのもプレッシャーですが、ピックアップされなかったパートもきちんと聞いていなければきちんと反応できないので1ミリも油断は出来ないのです。


③ ベルリンにてシュトックハウゼン「Mikrophonie II」(ミュージックビデオ撮影)

1月はパズルのピースのようにスケジュールがカチリとはまり合い、ヴッパータールからベルギー (ブルージュ、アントワープ) を経て直接ベルリン入りしました。12月に引き続きベルリンのアヴァンギャルドなアンサンブルPHØNIX16。シュトックハウゼンのMikrophonie IIを録音・撮影です。男女6人ずつの声楽アンサンブルとハモンドオルガン、電子音楽の作品です。



写真の右の方に数字が写っていますね。これが演奏開始からの時間を示しています。●分○秒から□分◆秒の間に指定された声楽的アクションを実施していく、という系の作品です。

僕は、2016年と2017年にこのアンサンブルでこの曲を歌いました。その後、現在までにシュトックハウゼン講習会に2度参加してきました。シュトックハウゼン講習会とは何かと言いますと、まぁ話せば長くなるのですが、要約すると、故シュトックハウゼンの奥さん達 (複数形) によって人里離れた村で2年に一度開催されている、約10日間シュトックハウゼンの音楽にどっぷり浸かって過ごす超マニアックでエキセントリックでハードコアな講習会です。

シュトックハウゼン講習会を経てシュトックハウゼンの曲に戻ってくると、5年前の自分達の演奏があまりにも粗過ぎたことが明るみに出てしまって......思わず稽古中に「ここはこういう風に解釈すべきだと思う。だってシュトックハウゼンの奥さんはそう言ってたもんね!」って何度も発言し、"シュトックハウゼン講習会修了者"風をガンガン吹かせずにはいられませんでした。こういう人アンサンブルにいると結構面倒臭いです。でも......奥さんそう言ってたし!

撮影は無事に済み、ユーモアたっぷりでとってもチャーミングなレトロ感溢れるビデオクリップがとっくに完成しているのですが、あまりに出来が良かったのでどこかの短編映画祭に出品するとかで、まだ一般公開できない模様です。また公開されましたら、是非。


④ ハンブルクにて聖歌詩篇を題材にした作品の録音

第5章 Orlando di Lasso "Domine deduc me" / Michel van der Aa "Shelter"
第6章 Orlando di Lasso "Miserere mei, Domine" / David Fennessy "Ne reminiscaris"
第84章 Thomas Weelkes "O how amiable are thy dwellings" / Caroline Shaw "And the swallow"

2月はハンブルクのNDR合唱団にお世話になり、アカペラ合唱曲を録音してきました。新旧の同歌詞異曲を3組並べたプログラムです。

同歌詞異曲というプログラムは、作曲家がどのようにテキストを解釈しているのかを直接比較できてなかなか面白いです。例えば第84章に付曲したWeelkesとShawなんかは両方英語なんですが、のっけからWeelkesは「O how amiable are thy dwellings」という古語のテキスト、一方Shawは「how beloved is your dwelling place」という現代語による異なる訳を用いています。言っている内容が同じでも、使う言葉によって与えられる印象は随分変わります。

また、第84章はもともと12節から成る長い詩篇で、両作曲家ともその全てに付曲しているわけではありません。Shawは「そこにスズメはすみかを、ツバメは巣を見出し...バッカの谷を横切り...秋の雨が谷を潤す...」など現代人でもダイレクトに場面を想起しやすい部分を主に引用し、ハミングやヴォカリーゼで各場面を繋ぎ、印象派の絵画のような音楽を実現しています。一方でWeelkesは「万軍の主よ、あなたを信頼する者はなんと幸いなることかな」って、めちゃくちゃ宗教色濃い節だけを取り上げて何度も繰り返して、「アーメン」で締めくくっています。知らずに両曲を聞いたら、同じ内容を歌っている曲だということに全く気付かないでしょう。



録音したものはまだ公開されていないようです。代わりに、滞在中にハンブルクでハーフマラソンを2本走り、自転車ツアーを2本敢行したので、道中で撮った写真を貼っておきます。


⑤ ブリュッセルにてスティーヴ・ライヒ「プロヴァーブ」(ストリーム)

3月にはブリュッセルの現代音楽スペシャリストの集団、Ictus Ensembleのプロジェクトにはじめて招待していただきました。



Ictus様との共演が動画という形で残ってラッキー。

ブリュッセルのKlarafestivalにおける出演です。僕は2曲目のスティーヴ・ライヒ「プロヴァーブ」でしれっと歌っています。ミニマルミュージックは集中力との闘い。神経ビンビンに張り詰めて歌いつつも、アルファ波を発して聴衆に眠気を誘うのが醍醐味。


⑥ アムステルダムにてバッハ「マタイ受難曲」(ストリーム・中止)




復活祭の一つ前の週はアムステルダムのコンセルトヘボウにて、コンセルトヘボウ・オーケストラとコレジウム・ヴォカーレ・ゲントの共演でマタイ受難曲をストリームする予定だったのです。リハーサルは極めて平和に、つつがなく執り行われました。

最終日の朝のゲネプロが始まって半時間ほど経った頃、オーケストラのスタッフの1人が切迫した面持ちで舞台に現れて指揮者に何かを告げ、指揮者を連れて退場。まもなく、その日の晩に行われるはずだったストリームの中止が言い渡されました。スタッフの1人がPCR検査で陽性反応を示したためです。彼を含め、オランダ国外から参加しているメンバーの多くが翌日帰国するのにPCR検査の陰性証明が必要だったため、その前日に検体を採取していたのです。

ちょうど一年前の今頃、SWRでの5週間に渡る長いプロジェクトの一番最後の週に突然「プロジェクトは中止となりました」というメールが届いてその日の稽古に行く必要がなくなり、パンデミックが始まりました。僕はその時のショックがトラウマで、音楽活動が再開してからも常時怯えていました。稽古へ行く道のりでは「着いたらキャンセルになっているかもしれない」と怯え、稽古が始まっても「突然マネージャーが現れて中止になるかもしれない」と怯え、無事稽古が終わって家路に着いても「今日が最後だったのかもしれない」と怯えるサイクル。出張系プロジェクトで旅立つ前夜も毎回、「明朝目覚めたらプロジェクト中止のメールが届いてたりして」なんて重たい気分で荷造りしていたのです。

このトラウマがフェイドアウトすることは全くなく、1つ前のIctus Ensembleとのプロジェクトの間もずっと心の片隅にひっかかっていたのを覚えています。しかしなぜだか今回、アムステルダムではその恐怖心が自分の中からすっぽり消えてしまっていました。普通に稽古に行って、歌って、稽古が終わったらホテルに帰って、寝て起きたらまた稽古に行って、最終日には本番で歌うという、ごく当たり前の一連の流れにすっかり身を任せていました。まさに、忘れた頃にやって来たのです。

ストリームの中止が言い渡された時は「そういえばこういうことがごく日常的に起こる時世だったね」と極めて冷静で、むしろ目下の心配事は我々は隔離されなければならないのかという問題でした。オランダでの細かい規定は分かりませんが、合唱団員は隔離対象には当たらないと判断され、翌日シュトゥットガルトへの家路に着きました。

中止が決まってすぐは意外にもそんなにショックでもなかったのですが、暫くするとSNSのタイムラインに、欧州中の主要な合唱団による「マタイのストリームしちゃうぞ!」の告知がわんさか流れてくるようになったのです。昨シーズンに根こそぎキャンセルされた反動か、今シーズンは合唱界総出でマタイのバーゲンセール。よってらっしゃい見てらっしゃい。そんなお祭り騒ぎに混ぜてもらうことが出来なくて、時間差で少しセンチメンタルになったのでした。


3ヶ月分をまとめて書くのはやはり相当アレですし、おそらく読んで下さっている方にもアレですよね。ストリームの視聴期限切れちゃうし。やっぱ短いスパンで書いていく方が良いですね。要は筆不精なんです。

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